ここのところ、夏の終わりを感じるような涼しさが続きますね
(来週は、また少し暑さが戻るようですが)。
この夏は、みなさまにとって、どんな思い出が残りましたか。
わたしは……ひたすら仕事をしてました。
主に校正の仕事です。
この夏に担当した仕事のひとつが、不食の弁護士さんの著書
日常的に食べ物をいっさい口にせず、
最近は水さえもいらなくなったという秋山佳胤さん。
不食によってハイパーな思考と行動力を得られたとか。
その秋山さんが展開する教育、現代医療、エネルギー、天皇論などなど
いろいろなテーマがギュッと詰まった1冊です。
その内容たるや、常識といわれるものをことごとくひっくり返すような、
斬新さです。
ただ、どんなに鋭くても、どの言葉にも愛が感じられるためか、
ビックリ、ドッキリしたあとには、胸の中にあたたかさが広がります。
そして、読後は、何かから解放されたような清々しさが残ります。
見える景色が大きく変わる、不思議な魅力の本。
ところで、わたしは、この本の校了を迎えたあと、
食べられなくなりました。
何か食べようと考えただけで、気持ち悪くなってしまうのです。
いっときは、白湯さえも飲めなくなりました。
不食の方の本を校正して、不食になる。
なんともわかりやすい影響の受け方です(笑)。
しかし、確かに影響を受けやすいたちではありますが、
主な原因は、仕事中の間食のしすぎだと思います。
校正をしている時は、体は座りっぱなしですが、
思考はフル回転、神経も使います。
このように体と心がアンバランスな状態だとストレスが高まります。
そこで、ストレスをなんとか緩めようと、心が食べに走ったというわけです。
甘いお菓子、アイス、おせんべい、ポテチ……。炭酸水も飲みました。
おなかはすいていないのに、食べる飲む。
なので、胃腸が「これ以上はたまらん」とストライキを起こしたのでしょうね。
2日間は、ほぼ絶食。そのあとも食事量は以前の2分の1〜3分の1になり、
今もその状態です。
しかも、大好きだった甘いものを食べるとおなかが重ーくなって。
少量を時々、になりました。
あまり食べなくなって、気がつきました。
食べなくても、もしくは少量でも案外平気なんですね。
今まで「お昼(夜)になったから、食事しなきゃ」
「栄養のあるものをしっかり食べなきゃ」と食べていましたが、
これも強い思い込みでした。
また、「あれが食べたい、これじゃなきゃイヤ、おいしいものを食べたい!」と
あれこれこだわるのも執着だな、と。
また、そう思うこと、その思いで行動が決まること
(制限される、とも言える)でも、実は大きなストレスを生んでいるんだな、
とも気がついたのです。
食べないことで、これらがなくなったときの開放感、
心身の軽々した感覚……新鮮でした!
食べることの楽しみや満足感も確かにあるけれど、
それとはまた全然違う幸せ感、違う世界の扉が開かれた感じが確かにしました。
したくも含め、食事にかける時間とエネルギーが大きく減ったことで、
「食べる」ことって、人生の中で思った以上に大きなスペースを
占めていたんだな、とも気がつきました。
それがなくなる(もしくは減る)と、ほかにいろんなことができる!
読書に勉強に、ヨーガや瞑想も。睡眠時間にも当てられます。
単純に体が軽くなるので、日常の動きも楽になるし、
好きなことをする時間がいっぱいあるから、心も満足して軽くなります。
少しだけでも、ひとつ執着を離れることで、
心身はこんなにも変わるんだと驚きました。
(もちろん、食べることは人間の強い本能ですので、
いろいろな考え方がありますし、不食も美食も、
どれが正しい/間違っているとは言えないとも思います。)
長い前振りでしたが(前振りだったのか!)、
さて、アシュタンガ・ヨーガの第1段階ヤマ5カ条の最後は
「アパリグラハ」です。
☆ヤマ(生活環境の最適化)
・アヒンサ/Ahimasa(不殺生)
・サッティヤ/Satya(不妄語)
・アステーヤ/Asteya(不偸盗)
・ブラフマチャーリヤ/Brahmachariya(不邪淫/自制)
・アパリグラハ/Aprigraha(不所有)
* カタカナ表記のあとはサンスクリット語の読み方です
アパリグラハは「執着しない」とも表現されます。
「あれもこれもほしい」と欲張ったり、いろんなことに手をつけたり、
全部自分がやらなきゃ気が済まない、と抱えこんだり……。
こんなふうにあらゆるものやことに執着すると、
結局自分でやり繰りできなくなって、自分もまわりも苦しむことになる。
だから、自分にできないことを見極めて、最初から背負わない、
という意味だそうです。
蓄積しない、とも言われます。
つまり、自分をよく知って、心と行動を一致させ、
自分のキャパシティを超えないようにすることが、
自他ともに心地よい環境をつくるということなのかも。
世界を調和的にもしそうですね。
わたしがはじめてヤマについて勉強したとき、
このアパリグラハに一番衝撃を受けました。
なぜなら、その時の自分が執着だらけだということに
気がついてしまったからです。
「自分は完璧でなくてはならない(すべてうまくやらなきゃ)」
「誰からもよく思われたい(すべての愛がほしい)」
「この仕事もあの仕事もしたい(何も失いたくない)」
「あれもこれも欲しい(全部ないと完璧じゃない!)」……等々。
いろいろなものやことを支配したがって、結局どれも中途半端になったり、
思うような結果にならない。だから悩むんだー! と納得しました。
もっとも、だからといって、これらの執着が消えてなくなったわけでは
ありませんけれども。
ただ、それまでは「執着している」ということすら
気がついていなかったので、自分の苦しみのもと=執着がわかっただけでも、
かなり楽になりました。
わかっていれば、少しずつ手放していけると思うのです。
このアパリグラハには、
「多くのものを所有すると、より多くの問題をつくってしまう」
という意味もあるそう。
だから、自分に正直になって、必要最小限なことを考えるとよい、と。
シンプルに考え、行動すると、人生がよりシンプルになって、
サマディーへの道を歩みやすくなるのでしょう……。
あ、でも、何かを「したい」という純粋な気持ちは
執着とは違うのではないかな、と思います。
「これをしなくちゃ幸せじゃない」と思い込むことが執着なのかな、と。
「したい」という自分の思いを、執着だ!と抑え込むのではなく、
何かができた、何かを持っていると幸せ、
でも、できなくても、持っていなくても実は幸せなんだ、と知ること。
どちらでもいいんだ、と心から腑に落ちることで、
はじめて「アパリグラハ、納得」となるのだと思うのです。
おいしいものを食べても、食べなくても、わたしは最初から幸せ。
うーん、こう思うだけで、おなかの中から満たされてきませんか?
(雄大なサンセットを見ている時も、何もなくても、
それだけで幸せな気分になります。
冒頭の写真は、大好きなハワイ島のサンセット。)
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